先週末、国道329号線を北上していると、億首川が流れる金武大橋の手前で、「宿道(すくみち)最後の一般公開」という看板をみかけた。“宿道?”“最後の一般公開?”という、よくわからないキーワードに関心を抱かずにはいられなかった。そのまま、その現場へと向かうことに……。 宿道(すくみち/しゅくみち)とは琉球王朝時代に、王府があった首里と本島北部から南部までを結ぶ、6本の主要な幹線道路のことで、今回一般公開された宿道の遺構は、本島北部の東海岸側の「国頭方東海道」(くにがみほうとうかいどう)の一部にあたる。 「国頭方東海道」とは、かつて琉球に上陸したペリー艦隊の「沖縄訪問記」に登場する道だ。その「国頭方東海道」の遺構が残っている場所は、今現在では、唯一この現場のみ。貴重な歴史街道の遺構となる。近世琉球時代(1609年の島津藩の琉球侵攻から、1879年の琉球処分までの間)に王府によって整備された宿道なのだという(発掘は2006年) しかも興味深いことにその“近世琉球時代の宿道”のほか、すぐ近くには“大正時代に整備された村道(アーチ型の奥首橋も残っている)”や、“戦後アメリカ軍によって造られた道(のちに旧国道329号線になる)”、“そして現在の金武大橋(現在の国道329号線)”と、4つの時代の4本の道が残っている場所としても、とても珍しい。 そんな歴史ロマンに浸っているのも、ほんの束の間のことだった。今回の一般公開が終わると、ダム建設の為に取り壊されてしまう予定だという。ダムに沈む訳では無いらしいが、ダム建設の過程で、遺構がある現場もどうしても整備のため工事しなくてはならないとの事。 金武町の教育委員会の方に話を伺うと、「金武ダムを拡張する億首ダム建設の国の計画は、大分前から決まっており、今回、ダム建設前に予定地に文化遺跡などがないか、2006年に実施した発掘調査で、宿道の遺構が発見されました」という。戦後から近年までこの場所は米軍用地となっていた為、開発の手の及ばない場所となっていた。 文化遺産がそのような形で残されていたのは奇跡ともいえるだろう。しかし、せっかく返還されることにはなったのだが、国のダム建設用地として返還されたのだ。「なんとか、この遺構を残せないものかと、時間を掛けて検討し、ダム建設計画側とも協力的に相談を重ねてきましたが、やはり今回はどうしても、宿道の遺構がある部分も取り壊さなければならないのが現状であります」。 ダム建設目的は、治水、水道用水やかんがいを用途としたものとのこと。新しいシマづくりの為にとはいえ、琉球王朝時代の歴史街道を、このまま失ってしまうにはあまりにも勿体ない。 「例えば、一旦そっくり別の場所に移動させ、建設後にまた元の位置に再現するという方法などは無いのでしょうか?」と尋ねてみると、「いくつかそういう案も上がっておりますので、なんとか最善の方法を検討してまいりたいと思います」という。私たちは今後の動向を注意深く見守ってゆくしか無いのだろうか……。
JanJan
沖縄旅したい
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